「他人の時間」を生きることに限界を感じてきた

社畜

こんにちは。

堀江貴文さんの「多動力」を読んでから、僕は「他人の時間」を生きているということについてやたらと考えるようになりました。特にいまやっている仕事がまさにそれで、何ら自分のためにはなっていないと思っています。そんなムダをいかにして減らしていくか、本来はそう考えていけばいいのですがそれよりもネガティブな感情ばかりが出てきてしまい、自分にもイライラしてしまうのです。

会社の仕事の多くは他人の時間を生きること

つくづく思うのですが、会社員ってやっている仕事のほとんどは「他人の時間」のためなのではないかと言うことです。いえ、別に会社員じゃなくても、雇われてやっている仕事というのは他人のためのようなものなのですが、「他人の時間」を生きているのは会社員では特に多いのではないかと思うのです。

例えばお客のお偉いさんに納得してもらうための資料を何日もかけて作ってみるものの一蹴されて帰ってきたり、その資料の事前社内レビューをするにしても、肝心の上司が打ち合わせでいなくて、定時過ぎてからやっと捕まえて夜遅くまで時間を使ったり、こうして多くの時間を「他人のため」に費やしているのです。

ここ1年ほどはそんな思いが強くなってきて、とてもバカバカしいと思っています。

かつて知ったブロガーさんと同じ気持ちになった

あるブロガーさんがいて、もう何年も前にその人のセミナーのようなものに参加したことがあります。ブログで発信しようというのが主なテーマで、その後もしばらくその人をTwitterやFacebookでフォローしていたのですが、その人のブログではなぜかサラリーマンをやたらと見下すようなことが書かれていて、いくらフリーになって成功しているからと言っても、そんなふうに言うのはいかがなものかと思って、フォローをそっと外していまに至ります。

しかしいま、僕はまだサラリーマンをやっている時点でその人と同じような気持ちになっています。こんな「他人の時間」を生きるサラリーマンって思考停止でバカなんじゃないかと。朝から満員電車に揺られイライラし、やりたいわけでもない仕事をやって、昼飯時や酒の席で仕事の愚痴を言い合って、全然楽しくないんですけど?

サラリーマンの仕事の中で「やりがい」だの「仕事が楽しい」だのウソだろと思うのです。仕事が楽しいだなんて言いながらも土日の休みが楽しみだとか、月曜は憂鬱だとか言ってるわけですよみんな。まあ、僕と違ってマイホームのローンのためだったり、家族を養うためにも自分を偽って働かないとやってられないんでしょうねきっと。そう思います。

こんなふうに、某ブロガーさんのように吐き捨てるように言いたくもなってきます。

限界が近づいてはいるが

僕はもうたくさんです。会社員というあり方にしても、もうちょっと他にあるだろうと思います。別に僕はITのエキスパートになりたいわけではないし、今の会社で幹部になろうと思っているわけではありません。そして所属する組織のためとか、そんな気持ちも端からありません。「他人の時間」のために自分の時間を費やすことをできるだけ減らすこと、このことしか考えていません。

しかしじゃあ何をするか?僕は何をしたいのか、いつもこの質問が立ちはだかります。ここでいつも止まってしまう。妻にも最近はことあるごとに将来どうしていくんだと問われているし、僕自身も何をしたいのか悩みます。得意なことってなんなのか、そもそもそんなものあるのか、好きなことで食っていけるか、いろいろと疑問符が出てきてしまうのです。

とはいえ、いつまでも悩んでいるわけにはいかないし、悩むぐらいなら行動しろというのが堀江さんの「多動力」でも謳われているので、ダメもとでもまずは動いてみようと思っています。

それではまた!

 多動力 / 堀江貴文・著
 多動力(kindle版)/ 堀江貴文・著

このブログを書いている人はこんな人

こうりん
中年です。サラリーマンやってます。
東京オリンピックまでには東京を脱出します。